小禄 -OROKU- ホームページへ

■ 12ヵ字 ■

字小禄(おろく)

字田原(たばる)

字金城(かなぐすく)

字赤嶺(あかみね)

字安次嶺(あしみね)

字当間(とうま)

字鏡水(かがみず)

大嶺(おおみね)

字高良(たから)

字宮城(みやぎ)

字具志(ぐし)

字宇栄原(うえばる)

字当間(とうま)

▼ 参考文献「小禄村誌」▼

(1)沿革

 字当間は、古い文献にもその由来や村の特色など記録されておらず、部落を創造した人物など判然としない。

 古老の話しによると、初めて村を起こした所は浦添村(現・浦添市)字沢低の屋号・当間から移住され、屋号の「当間」を忘れさせない為に部落の名を「当間」と付け、現在に伝わっているとのことである。また、瀬長島の戦の時、知念村の安座間から加勢に来られたが、戦が終わっても知念に帰らず当間部落に居住し、知念村の安座間を忘れない為に安座間と名付けた土地名が残っているともいう。

 以上が当間部落の発生を示す重要な口碑であるが、現在ではどれが先であったか確証出来る資料や文献がなく困難である。

 現在は15の門中組織がある。
    (1)沢低門中 (2)上堀川門中 (3)瀬底門中 (4)高屋門中 (5)上赤嶺門中 (6)平良門中 (7)宮城門中 (8)仲元門中 (9)東根神門中 (10)前大屋門中 (11)蔵根門中 (12)新屋敷門中 (13)武富門中 (14)仲山門中 (15)大根門中(上原)
 などがある。

(2)戦前の状況

 部落には五味原、安座間原、板敷原、宇茶原、立神原、清江原、当間原、前原、南風原などの土地があり、畑地は良く肥えていて、殆どの家が農業中心で甘蕪、キャベツ、トマト、ナス、人参、甘藷等を作り那覇市場に売り出し、県外出荷の時は早朝から活気に満ち、夜遅くまで忙しく、荷馬車で運ぶ時代が思い出される。

 砂糖屋(製糖小屋)は東組、西組、仲組、新聞小とあり製糖期になると隣近所、友人、親戚一門でイーマールー(交替)勤労奉仕で助け合い、隣人愛と親戚の和が育まれた。

 池は村池、大門池、新地とあり、野良仕事の帰り手足農具を洗い、食物芋や野菜を洗い、牛馬を浴びせて夕暮れの一時を一休みしながら、色々と世間話しに花を咲かす情報交換の楽しい場所であった。

 村井戸はイージン井泉、チンジャー井泉で正月には若水、新生児が生まれると産湯として、村人の飲料水にも使われた。

 産井泉として敬重な拝所であるが、井戸端会議と云われるように老若男女が集まり、年輩は昔話しに若者はロマンスの生まれる絶好の場所で、村人達の連携がとれ、町の人々には味わえない素朴さがあった。

 昔の面影を残している前ヌ森は小禄では高い森であり、マチグヮチージの松の下で海原の出船入船を展望する景観はすばらしい。部落中央の中道で、旧6月は、農作物の収穫に感謝する御願と東西に分かれて綱引きや相撲など楽しい行事もあった。

 村屋は部落民の集会所で、子供達の遊び場として使用され、大小数個の石は青年達の力比べの用具であった。布織りアングヮ一連も(片袖や紺地、片袖や浅地、いちがむる染みの紺地ちゅが)と優しくも物淋しいこの唄を口ずさみ、民百姓の貧しさとロマンの17世紀以来の時代の流れを物語る。

 又婦人連が集まってパナマ帽子編みを楽しみ(勘定前になりばさら夜明けから)と生計を維持するため、貧困の中にも情緒があり、貴重な女性の仕事で相互扶序の精神を生み出す民族の歴史の一駒であり、粗食の生活の中で、風土に適した郷土料理の知恵なども常に沖縄の心として語り伝えられている。

 明治13年、通称「当間学校」と呼ばれる小禄尋常小学校が開設され、大正の中期には煉瓦造りのすばらしい校舎になり、美観と優雅さは当間の名が知られる所以である。当間の人々の気持ちは優しく、肝美らく教育熱心である。

 小禄間切口説に「手墨学問の道広く」と詩われている様に、上原政清、安次嶺新、喜屋武清栄、長嶺牛清の四民が、小学校長として教育界に貢献なされ、他にも多くの偉業を残された方がおられた。長嶺亀助陸軍少将は、明治17年(1884年)5月1日出生され、当間学校・那覇高等小学校を経て一中と陸士陸大を卒業され、昭和6年の満州事変には日本で初代飛行隊長として参戦し、泉州爆撃の際に指揮をなされた。昭和11年退役後は、日本特殊軽合金取締役社長をなさった。沖縄人としては、唯一人の陸軍少将で偉大な方だった。その祖父の松助氏は、小禄間切の地頭代(村長)をされ、長嶺兄弟は弟の牛清ともに祖父の影響を受け、当間部落の誇りである。

(3)戦後の状況

 先祖代々から肥沃な土地と屋敷を軍用地に取られ、終戦当時は宇栄原や高良方面に散在したが、新部落推進期成会の結成で宅地が造成され、大方が移り住んだ。戦後は勤め人が多く、公務員・会社員・商業・土木業に従事している。

 旧3月3日の女の節句は御重を盛り、唄と踊りに女性天下の有意義な日を過ごす。旧5月6月のウマチーも古代部落民の生活行事信仰の継承であり御嶽や井戸、門中御願所、拝所など部落組織の伝統的祭示巳が行われる。

 毎年5月は、前年度の学事奨励会新旧役員の歓送迎会が催され、未来の当間を担う子供達が良い環境の中で心身共に健やかに育成することを願っての行事であり、9月15日は敬老会が催され、過ぎた年月の重みと豊かさの中で喜怒哀楽の人生の歴史を築いてこられた先輩方の労を感謝し祝福する部落の大行事となっている。


当間自治会 那覇市小禄826-8 098-858-4502

當間ノ嶽(2002.02.17)

新部落まーい

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