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これは、宇栄原(うえばる)の話よ。小禄南公民館の近くにね、下(シチャ)ヌ御嶽(ウタキ)というところが今もあるさぁね。そこには、琉球松(りゅうきゅうまつ)がね、こう三名(さんめい)かかって抱(かか)えるくらいの大きな松よ。これが五、六本も茂(しげ)っていてよ、昼でも暗いぐらいによぅ。だあ、ここで宇栄原の武士連中(ぶしれんちゅう)は武芸(ぶげい)の稽古(けいこ)してたわけよ。毎日練習してね、だから、もう、たいへん強くなっていたのさあね。 ある日、首里(しゅり)のお城の石垣の修理があてっよ。このときは沖縄中から、鍛(きた)えた連中が集められたらしいよ。この宇栄原の武士のなかからも、とくに鍛えた連中が選ばれてよ。あね、名人の連中ね。ところが、この連中よ、仕事の始まる時間に遅れたわけさあ。はあー、お城の仕事に遅れたりするもんだから、えらく怒(おこ)られたって。だから、罰(ばつ)として月がでるまで働きなさいといわれてから、もう、仕方ないさぁってから、武士の頭(かしら)も納得した顔して見せたのね。ふん、なぜって、その日は十日目(とおかづき)だったのさあ。この月は、朝の十時には上がつてしまうのさぁ。でよ、月がでたから、はい、さようなら。現場の監督(かんとく)とか、よその武士たちは、もう、ワジワジィー。でも、約束さぁ。仕方なかったって。 ところが、昔はこうした武士たちがいたらしいが、七(なな)ケーン坂小(ビラグァー)の工事をしたら、そのあと武士は宇栄原からでなくなったって話よ。この坂(ヒラ)は、今の小禄中学のそばにあったんだがねぇ。不思議なことよ。 (武士(ぶし)とは、強者(つわもの)のことで、いわゆる兵士(へいし)などのことではない。) |